畑鉱山跡
新潟県の畑鉱山跡に行ったよ♪坑口も残っているよでもさ〜ネズミじゃないとたどりつけな いかもね 選鉱場跡も残っていたよ☆昔は上で精錬していたのかな?
カスが大量にあったよ☆それと〜 コンクリートの土台が上と下にあったからネ架空索道で下の選鉱場までおろしていたのかな
上のあのとても広い空間が気になるよね〜大きな木が生えていないしね〜なぞだな♪
郷土誌には昭和20年に閉山とありましたが、
昭和24年迄稼行していたみたいですね・・
はたけ鉱山かと思っていたら、第一村人さんが訂正してくれた・・・はた鉱山
石垣だ〜♪
貯鉱場が見えてきたよ♪
貯鉱場跡♪
・・・とあります
沈澱池跡?
選鉱場があったんだね☆
爽やかだな〜 広いな〜♪
精錬した後のカラミが・・・
ワ〜イ!坑口だ♪
西側に大きな洞窟?
洞窟じゃないんだ 自然崩落中 歩きにくいな
春はミックンの一番すきな季節だよ♪
昭和10年:1935年分の本邦鉱業ノ趨勢には、明治初年地元農民の発見に係り其の後転々し
て後明治40年元寶田石油㈱の有となり経営3ヶ年にして休山し大正4年元関東酸素㈱の所
有に帰し続いて同社と大日本人造肥科㈱との合併により後者名義となるに及び坑道の進展機
械選鉱場の新設等をなし鋭意経営に努めたるも大正9年遂に休山の止むなきに至り次で昭和
9年10月清水隆蔵譲受け今日に至る とあります
更に、鉱石は全部手選なれど更に採収の完璧を期する為機械選鉱場を設置すべく計画中なり
、従業員は現在160名にして精鉱月産150瓲内外(品位銅8%)あり秋田県小坂鉱山に
売鉱す だそうです
こんな記述もあったりしてね、大盛坑準以下の探鉱を目的として電気鑿岩機1台を新設し
大切坑を開鑿中なり又選鉱場より越後片貝駅に至る3,275m間に架空索道を新設し運搬能力を
増大せしめたり
大里峠の東側、小国町の方にも鉱山があったようです、玉金(たまきん?)通常は
たまがねと読むはずですね、玉金鉱山の事でしょうかね・・・
この付近は大蛇伝説のある土地です、この鉱山を越えて旧街道沿いに進むと・・・
蛇骨が落ちているそうです・・ゴツゴツした蛇骨の正体は・・繊維石膏だそうです
蛇足でした♪
年号 | 西暦 | 鉱山名 | 鉱種 | 産年 | 産量(原本) | 産量 トン |
S19 | 1944 | 畑鑛山 | 銅 | S19 | 精鉱 | 735 |
S20 | 1945 | 畑鑛山 | 銅 | S20 | 精鉱 | 278 |
S21 | 1946 | 畑鉱山 | 銅 | S21 | 精鉱 | 134 |
S22 | 1947 | 畑鉱山 | 銅 | S22 | 精鉱 | 202 |
S23 | 1948 | 畑鉱山 | 銅 | S23 | 精鉱 | 89 |
S24 | 1949 | 畑鉱山 | 銅 | S24 | 精鉱 | 47 |