葡萄鉱山跡
岩船郡朝日村の葡萄鉱山を見てきました。今は村上市ですか・・・そうですか・・・
ここはいつから掘っていたのかな? 慶長二年(1597年)の絵図には描かれていませんが、
その後の元和六年、(1620年)の文書には記載があるそうです。葡萄鉛山と呼ばれていたそうです。
鉛といえば中毒に注意ですね。この時期は佐渡金山が開発された時期とも重なるので、鉛は灰吹法に必要だから重要なヤマだったのかもね。
実際、元和7年(1621年)佐渡へ鉛一万五千貫を売却した記録が残っているそうです。
大同年間に露頭を発見の説もありますが。大同年間ね・・・
日本の鉱床総覧と日東金属株式会社のHP等によると・・・
千数百年昔に銀鉛鉱山として開発されたものである。その後の沿革は詳細不明。
江戸時代には村上藩が中小屋付近で、銀、鉛採掘 明治40年から本格的に稼行。
大正4年頃からは大部分を磐梯町の大寺精錬所へ他に岐阜の神岡や彦島精錬所へ。
1907年(明治40年): | 長岡の人 長谷川久治・久太が再開発 |
1916年(大正 5年): | 高田商会が第一次世界大戦特需目的で関与 |
1917年(大正 6年): | 7月 葡萄鉱山株式会社設立 長岡の人 中野信吾が主導 |
役員には長谷川久治・久太 その後の沿革は詳細不明。 | |
1933年(昭和 8年): | 村上駅前に葡萄鉱山村上電気製錬所が完成 鉛製錬開始 |
1937年(昭和12年): | 日本曹達㈱にて開発着手 |
1938年(昭和13年): | 長久鉱業㈱村上製錬所となる |
1941年(昭和16年): | 7,000t/月の選鉱場を建設、着手 |
1941年(昭和16年): | 製錬所が帝国鉱業開発㈱の委任経営となる |
1944年(昭和19年): | 製錬所が中外鉱業㈱村上製錬所となる |
1945年(昭和20年): | 生産量低減し、1,000〜1,500t/月にした |
1946年(昭和21年): | 再出発(Pb 2.5% Zn 7.5%) 200名となる |
1951年(昭和26年): | 山許に鉛製錬を開始し鉱山の最盛期となる |
1953年(昭和28年): | 生産中止 |
1953年(昭和28年): | 製錬所では三面発電所開始でマンガン系合金生産開始 |
1955年(昭和30年): | 朝日鉱山㈱買収、1,000t/月、生産再開 |
1959年(昭和34年): | 休山 |
1960年(昭和35年): | 白銀鉱業㈱買収、探鉱開始し、今日に至る |
白銀鉱業㈱=東邦亜鉛㈱ |
葡萄鉱山 選鉱場跡
選鉱場跡下
「坑本」って書いてある・・・右から読むんだ・・・
本坑内部
ここは、鉄格子・・・
だ・・・ 出してくれ〜
事務所跡に壷・・・焼酎の壷? の訳ないか
今はただ・・・
昔の地図見る? 汚いけど^^