大沢鉱山跡

 新潟県の大沢鉱山跡(大澤金山)を見てきたよ! ここは歩きにくいな〜苔むした石が多いや慶長年間にはあったらしい よ1600年頃かな?正保二年(1645年)の絵図には記載があるらしいよ〜 ふ〜ん♪実感が湧かないや  詳しい文書(もんじょ)はないようですが 元治年間(1864〜1865)に塩野町の某が稼行していたが数年も持たなかった とか
 明治35年(1902年)内田盛夫さんが採掘を始めるもやめ※明治26年には既に内田盛夫・根岸俊平で鉱区を所有 明治37年(1904年)小松原直助さんの所有となったが 明治41年(1908年)7月新津町の広田敏徳の所有となり 明治42年(1909年)1月製錬所の建設を始め
明治43年(1910年)5月より精錬を開始したとあるけどね
昭和18年 (1943年)全国金鉱業整備法のおかげで。昭和18年5月3日に閉山式が執り行われたそうです。・・文書でごまかそう 大澤金山の取締役兼鉱山長であった、成井頼佐さんは「大澤金山」と題した小冊子を作り閉山式で配布したそうです。 それによると・・・・・
当鉱山ノ稼行ハ遠ク慶長年間ニ創マルト言ヒ伝フレド文献ナシ。当鉱山ニ在スル莫大ナル旧ズリ並ニ多数ノ旧坑中火薬 ヲ使用セズ、克明ニ手堀鏨堀セル狸堀、坑道各所ニ存在セル点ヨリ推察シ、相当古ク旧幕時代ヨリ稼行セラレシモノノ如 シ当社創業当時尚多数ノ石臼存在セリ。
明治三十六年ノ頃、新津ノ人広田某ニヨリ少規模ニテ稼行セラレ、従業員ハ四十名前後従業セシモノノ如ク、混汞法ヲ 以テ採金セシガ、四十五年頃之亦休山セリ。
昭和十二年七月、支那事変勃発スルヤ国家ノ要望ニ応ス可ク当時ノ鉱業権者宮田三郎ヨリ大澤金山鉱業株式会社之レヲ 譲受ケ、専務成井頼佐ヲ現地ノ経営ノ衝ニ当リシガ逐次開発セラルルニ及ビ、同十四年十月日本産金振興株式会社トノ共 同経営トナリ現在ニ至リシガ、昭和十八年全国金鉱業整備セラルルニ当リ休止金山トナレリ。
出展→郷土史(故 佐藤威夫氏所蔵「大澤金山」 当時は御存命中)
広田某→広田敏徳さんのこと 大澤金山は昭和16年(1941年)の鑛山名鑑にも掲載されているよん。

石垣  坑口跡?
石垣跡かな?

埋もれていますが・・・
坑口跡かな?

坑口跡?
坑口跡かな?そうかな?♪

露天堀跡?
露天堀跡?写真が一枚ない・・・わかりにくいね♪

 まだまだ文書でごまかそう・・・
「鉄道局ニ特二許可ヲ得、駅構内ニ約七〇頓程度ノ貯鉱セラル積込場ヲ設置シ、直扱ヒヲ以テ貨車積込ミヲ行ヒシガ、 昭和十七年九月、荷物取扱ヒ機構ノ変更ニ依リ、勝木合同運送店ニ積込場ノ使用ヲ許シ、トラック積下シ並ニ貨車積込費 ヲ含メ、頓五〇銭ヲ以テ委託スルコトトセリ」
最寄の勝木駅に積込場があったけれども、状況が変わって勝木合同運送店を使う事になったということかな?
日本金山誌によると、益坑上部を露天堀により採掘し、日本産金振興㈱日頃市精錬所(岩手県)に売鉱していたそうです
また、「大澤金山」によれば、黒川俣村地内の鉱山としていくつかがあげられており、その概要は下記のとおりです
① 岩船鉱山 三菱鉱業の経営により錫・鉛・亜鉛を採掘していたが、昭和3年(1929年)に休山した。
② 大沢金山 大澤金山鉱業株式会社が経営 従業員74人。  (ここの事かな?)
③ 大沢金山 帝国鉱業株式会社が経営 従業員30人。  (鉱区設定の違う同じ鉱山名なんですね、最近理解しました )
④ 明神炭山 藤野という人が経営し、亜炭を採掘していた。従業員は25人。
⑤ 大毎炭山 遠藤という人が経営し、亜炭を採掘していた。従業員は25人。
昭和17年度におけるこれら稼業鉱山の従業員は、男女合わせて約150人だそうです。従業員の多くは農民であった為、 農繁期には出勤率が著しく悪かったんだって。昔は学校でも秋には、稲刈り休みがあったそうですよ。
昭和16年頃の資料には、この付近の三ヶ所で蛍石を産するみたいな記述があったけど、実際に採掘されたかどうかは、 不明なんですが。

この付近に来たら、藻塩買ってね!  夏なら期間限定で岩牡蠣を食べて行ってね美味しいよ!  夕日会館にも寄ってね! 岩牡蠣も食べられますよ!  村上で食べるよりも安いよ!  山北町(さんぽくまち)は、良いところですよ!
2008年4月  山北町は村上市になってしまいました・・・
。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン