鳴海金山跡

 鳴海金山跡に行ったよ♪ゴールドパーク鳴海という表現が正確ですが、有料ですよ^^砂金体験コーナーは別料金ですね・・・詳細は 自治体の観光案内へいくよ♪ を見てちょ♪
地元の郷土史等によると、大同年間(806〜809年)に発見されたらしく、天正、慶長年間の頃が最盛期だったようです。大同二年( 807年)説あり(^^)どこにも出てくる大同二年か・・・こりゃ〜大同年間発見すら怪しいな
慶長二年(1597年)の運上金が、慶長三年(1598年)の伏見蔵納目録として、全国の産出額の1/3を占めていたそうです。

越後 1124枚4両1匁4分2厘   越後黄金山   上杉景勝
佐渡 799枚5両1匁6厘   佐渡黄金山   上杉景勝
出羽 97枚8両8分5厘   出羽黄金山   上杉景勝

 上杉景勝さんの領地だけで全国の産金量の半分以上になりますね〜^^ ♪ 慶長六年には佐渡相川金山が発見されております。元和、明和年間や天明年間、明治初年と採掘されたが、閉山状態が続いたそうです。
高根金山は、鳴海金山、駒ヶ岳、金之丞山の総称らしいです。慶長二年(1597年)の越後国郡絵図には、 高根金山と記載されています。明治時代には相俣金山と呼ばれ、逆に鳴海金山っていつから呼ばれたのやら? 昭和39年(1964年)9月、地元の有志:貝沼英雄遠山善樹氏による探査が行われたそうです。昭和43年(1968年)には、朝日村主催の調査が行われたそうです。 調査した時の文章のみが岩船広域図書館のHP上で公開されています、興味のある方は下↓からドゾー
『なるみ 金山調査報告書』テキスト版 へ
明治10年代の文書には、新潟県下越後國岩船郡高根村字相俣金山は県庁を距る北二十八里 村上を距るる北五里高根川の上流高根村より北四里の地に在り海面を拔く三千尺餘にして今を距るる千七十八年前即ち 大同二年出羽の人相俣禰三郎なる者發見せしを以って字相俣金山と称す降て平氏の盛時に當り始めて官に属す 承久年間平重盛の族奥羽案察使小池大納言之が奉行となりて管理す源氏の興るに及て小池大納言三面村に逃匿す とありまする。 越後黄金山が本当は橋立金山の方だったらおもしろいのにね

紅葉♪
紅葉だ〜♪

上の方は紅葉も散り・・・
駐車場より下りの道♪

タヌキ堀跡♪
タヌキ堀跡?!

センノ木坑跡♪
センノ木坑☆

とりあえず大切坑迄降りたけどね♪
入口♪

♪
^^

何回も頭をぶつけました・・・♪
大切坑口 ヘルメットを着用!

砂金 少ないな♪
体験コーナー