三協鉄山 遠望
五泉市の奥、旧村松町の灰ヶ岳の近くにあった三協鉄山・三協鉱山を探しに行ってみました。
三協鉄山から、門原(かどはら)を通って今は無きの蒲原鉄道の西村松駅迄鉄索があったそうです。
1917年:大正6年の日本電気製鉄㈱白滝鉱山時代は阿弥陀瀬まで鉄索が、そこからはトロッコで村松へとね。
でも大正のバブル景気が弾けたあと休山に。1938年:昭和13年に岸本鉱業の子会社の村松鉱業㈱が再開に着手。
1943年:昭和18年に三協鉄山㈱が設立されたそうです。三協鉄山㈱は本社が文京区元町2−37にあり、西村松駅近くに村松事務所が在ったそうです。
すごく山奥らしく片道6時間以上かかるみたいなので登山口を5時10分に出ました。
いつも登り始めが一番ツライです。登山道に落ちているブナの小枝等は途中で拾ったクロモジの枝で沢側に落として行きました。
落ちている小枝や枝で弱った帰りでは躓いたり転んだりする事が多いもので。
写真を撮りながらヘラヘラ歩いて行くと、黒山椒魚の卵があったりして、
滑り易い道・・・最後の急斜面を登ると毛石山の頂上?って標柱がなく少し進むとそこが山頂で7時25分着でした。
山頂附近を少し散策そこから奥は、登山道というよりただの獣道の様相、クマさんの通り道って雰囲気。元山事務所跡附近に近づくとワイヤーの残骸とか目立ったりしてね、
事務所跡は残雪の下と妄想、此処を南東に下がったなだらかな所が栃平と呼ばれる場所みたいです。雪融けには後少し時間が必要そうでした。
今回の目標地点の小屋場沢鉱床附近も残雪の下みたいでアッチャ〜でした、この冬は小雪という事でしたがある所にはあるものですね・・・
落し物をした事に気付いたりしてね 帰りは昔の道をとか思っていたので、落し物は見つかりましたが往復2時間近くのロス・・・
あの辺りらしい
クロサンショウウオの卵
毛石山の標柱
木にワイヤーが
太いワイヤー
何かな
ワイヤー巻取り機?
元山事務所附近?
元山事務所附近?
上久沢側への道?
で、小俣鉱山や日本平亜鉛鉱山(水上坑)の旧鉱山道で、
酷い目にあった事も忘れ性懲りも無く結晶洞窟があるなら結晶壁面が存在する筈と妄想が・・・
行き成り落ちたら死ぬような崖の道や沢には残雪がしかも滑落したら止まらず高速で谷底へ導いてくれそうな所が多くて・・・
沢の残雪地帯が一番怖かったです、ピッケルなんぞ持っている訳もなくクロモジの枝を山側に差して辛うじて越したりしてね。
木々の枝は、開けた空間である旧道側に水平に伸びているから余計に時間掛かるし、
痕跡も薄い所が多く赤布も鉈目も鋸目も無くカモシカに出会えばキャンキャン吠えられるし尾根部分を横切る場所では次の沢が見えて一喜九憂でした唯一ブナ林の短い道が天国でした・・・
中山尾根の西側は絶壁状態ですか。沢が大きく崩れた附近に坑口らしきものがあったりして、内ノ毛石鉛山の跡かな?
毛石山の東南東の岩場地帯からは比較的楽に歩かれましたが毛石山頂の東250mの680高地との鞍部から先が、
早出川ダムの山道に似た雰囲気で早く通り過ぎたかったですが、慎重に歩かないといけない訳で・・・
ヤケがあるこの下流がイドチ沢?(江戸地鉛山があった)旧道は地質的には面白いけど歩くには面白くないです。
現在の登山道に合流した時間が、当日の日没時間で5時間位も旧道でもがいていました。
帰りは自然と速く歩けるわけで、月もまだおデブさんになる前だし仕方なく途中からヘッドランプを点けたけど暗いって懐中電灯も使わなきゃいけない状況、
ヘッドランプの電池交換をしたら明るかった・・・道理でこの前、中ノ沢の坑内歩いた時暗かったわけね、
あの時は強力ライトもあったから問題なかったけど。それにしても夜ヘッドランプを点けて歩く事には大いなる違和感を抱きます。
ヘッドランプは昼間しか使った事がなかったので。
登山口に20時過ぎに着いたので15時間近く山に居た訳で記録を更新してしまいました。以上山行記録でした。 もうすぐ5月です。
※門原(かどはら)をモンゲンと云ったら、どっかの総理大臣みたいな事を云ってと正しい呼び方を古小屋鉱山の下見の際に、第三村人さんから教えて戴きました。