三宝鉱山跡

 新潟県の三宝鉱山を見てきました。上川村(現阿賀町)にあったのですがね、 日本金山誌によると、明治時代には、鉱業権者が佐藤佐蔵さんで岩名澤鑛山・岩名沢鉱山と呼ばれていたようです。
尤も大正時代の資料によると三宝鉱山・三寶鉱山ってここじゃないですよね違う場所なんですがね、 地図も違う場所を示しているんだけどね・・・金掘銅山の北方なんですが。岩名澤も違う場所みたいなんですがね鉱業権者云々は合っていますが、 沿革が混同されている可能性があります。広域調査は大正時代の資料に基づいた記述になったいるしね。まぁっそれは置いといてと
1938年:昭和13年8月に玉手一郎さんから、中島隆吉・草野喜満太さん達に鉱業権が移り10月から、 着手したようです。試掘登録12,698號 採掘・手選し小坂鉱山に売鉱したそうです。 日本金山誌の記述だと2ヶ月しか稼行しなかったとも判断されそうだけど・・・5坑道あると記載されているけど、 4号坑は場所は分かりましたが体力的な問題で見ていません。
三宝鉱山は微妙に遠いです、高さも微妙ですが体感傾斜が60度位の岩場を這い登っていくので肉体的にも精神的にも疲れます、 腕カバーがすぐにずれてブヨにいっぱいやられました。昨年は、気力が足らず辿り着けませんでしたが・・・
飯場跡には、鍋とかドラム缶と酒類の空き瓶が大量に、 ブルーシートの前身のオレンジシート、コーラの1リットルの空き瓶が残されていた事から1960年代後半以降のものかと、 ゼンマイ小屋にでも使ったのかと妄想。 年代の根拠は主にオレンジシートとコーラの1リットル瓶だけですが。 帰りには、クマさんの大きなウ○コがありましたそして、あと僅かな所で今回もまた道を見失ってしまいました・・・

手前側の道の痕跡が、今はないです
鉱山への道 左側は崖70m位は滑落出来ます
数年前迄は、明瞭に道の痕跡があったのに

釜跡?
飯場跡への途中 焼釜跡かな?

ドラム缶
飯場跡

岩場
景色でもどうぞ

結構高いかも
少し高い所からの景色もどうぞ

坑口跡
三宝鉱山 一号坑口手前

一号坑
一号坑 ここは危険なかほり

竪坑かと思ったけど違いました
一号坑 竪坑? 下にも坑道

・・・
埋もれた?

粘土・・・
粘土ですか・・・意外

坑口跡
三号坑口

水浸し
三号坑の中 涼しくていい


参考資料
  ・日本金山誌 (第4編 関東 中部)
  ・本邦鉱業ノ趨勢
  ・鉱区一覧
  ・その他


高い所は苦手・・・