亜鉛電気精錬梶@跡

 亜鉛電気精錬株式会社は、明治45年(1912年)6月に東京市に本社設立 大正3年(1914年)7月に製煉所 のある大字五十島亦六(持倉鉱山事務所より約500m 駅寄り)に本社を移転した。大正2年(1913年)より操業を開始し  電力は自家水力で賄い 原鉱は日本平亜鉛鉱山(水上、掛居)及び神岡細倉鉱山 から調達し 電気製錬を始めた 大正2年(1913年)は操業開始したばかりだけど 約5・5トン生産した有望であるとかね 大正6年(1917年)以降の産量が不明です、
あとは型亜鉛・亜鉛鉱・電解半製品や亜鉛電気精錬順序の写真を展覧会に、 出品したという事が分かっただけです・・・
五十島鉱山が稼行していた頃 前の砂防ダム《1959年:昭和34年竣工》が出来る以前は、橋があり道路は亜鉛電気精錬側にあったそうな
亜鉛の供給元に関する記述
(採登601號)日本平鉱山
 本鉱山は明治四十五年六月事業を開始し第五號坑に於て直径十二尺大の亜鉛鉱塊に堀り当てたる以来大 に活気を呈し引続き探鉱に努むると同時に山元より持倉銅山製錬場付近に運搬用架空索道建設工事中なり

大清水澤の水上及掛居に亙るものゝ如く同處に鑛床の露頭あり、嘗て日本平亞鉛鑛山は本鑛床より亞鉛鑛を採掘せり

河沼郡下谷村・現在の福島県西会津町 野沢駅の南方にあった山口鉱山からも供給されていた。 葎沢鉱山・虚空蔵坑も含むからも供給 虚弱体質なので いまだ水上坑及び掛居坑に辿り着けない 藪こぎは嫌いです・・・

今、ここにある危機・・・
 明治24年の調査では のちの稼行当時の持倉鉱山の鉱区内でのサンプル4点の分析結果が いずれも 砒素が多量と記載されているけれども具体的な数字の記載は無い。
 イタイイタイ病がカドミウムが原因と特定されたのは昭和の時代 特定されるまではある種の風土病と考えられていた。 当然、いわれなき差別を受けていたのでしょうね。
 湿式亜鉛精錬では、排水にカドミウムが流出するらしいよ。新潟県じゃ忘れた頃にカドミウム米が見つかる。ちなみに、 『20世紀の初め頃から、亜鉛製錬ができるようになり、亜鉛鉱石が大量に鉱山から掘り出され、鉱石からの亜鉛製錬が活発に行われるようになりました。これらの産業活動に伴って発生する鉱山の坑内水、 製錬所の排水・排煙及び廃石などの堆積場から出る排水等にカドミウムが含まれていました。これが、カドミウムによる農地汚染の主な原因となりました。』  だそうです。by 農林水産省
寝た子を 起こすと厄介な事に・・・ 放射能を集めてはやし 阿賀野川? 河口にだいぶ 放射性セシウムが堆積しているはず。 カエサルのものはカエサルに、集めて福島原発に 戻すのがスジ♪

緩衝地帯?
広い 雪崩・落石対策の緩衝地帯?

石垣
施設側を守る石垣?

カラミレンガ
カラミ煉瓦 供給元 持倉鉱山でしょうね

コンクリート
コンクリート

カラミレンガ
カラミ煉瓦 供給元 持倉鉱山

カラミレンガと石垣
カラミ煉瓦と石垣

カラミレンガ
円筒形に積まれたカラミ煉瓦

カラミレンガ
カラミ煉瓦 左下に炉の口?

炉?
炉?の内部

トンネル?
はずれのほうに坑口?トンネル?

祠 山の神?
祠(ほこら) 山の神? のある場所

落ちている・・・ 村松町 熊倉珪次さん
いつも会えるとは限らない

重かった・・・
復元して置きました

草水の花崗岩?
やはり 鉱山には祠がよく似合う

五円玉なし・・・
無事に帰られますように♪

日本平亜鉛鉱山を目指した途中で拾った黒い透光性のある閃亜鉛鉱 自宅内で鋭意捜索中・・・

以下は 亜鉛電気精煉 関連資料の羅列です 

神戸大学付属図書館Web ページより昔の新聞を掲載 一部省略および平仮名にしたよ〜♪

  中外商業新報 1916.1.31-1916.2.2(大正5年)
    亜鉛精煉業大飛躍 (上・中・下)

『古河にも秘策あり』
高田が実施権を譲り受けたる精錬法は邦人某氏の発明を基礎とする湿式亜鉛電解特許権株式会社の方式に して日本は勿論ほとんど世界各国の特許を有するもの、最初越後持倉なる亜鉛電気精錬会社によりて大正 元年以来実地応用を試みられたども同社は微力にして事業完成の見込なしと称せられ今や斯界(しかい) に於ける存在を忘れらんとする状況なるが時局発企と共に鉱業資本家の注目をひき前記高田商会の実施権 の分譲契約成るとほぼ同時に古河合名会社にも分譲されたり、ただし古河は銅の盛況におわれてこの新事 業を顧みるのいとまなきが如きも何時かは仲間入するに至るべく秘策籌謀おこたりなきものの如し、かく て亜鉛精錬事業は藤田組の大阪亜鉛鉱業を始め、三井、金辰、久原高田、古河と群豪割拠の壮観をもたら すべくやがては銅に次ぐの大鉱業たるべし

  時事新報 1916.3.7-1916.3.15(大正5年)
    事局と鉱業界(一〜七)
  3月11日付
・・・省略・・・新潟県五十嶋に亜鉛電気精煉会社というのがある名の如く電気分解による湿式精煉法を 採れるもので同社独特の発明にかかりその製品は非常に優良であるが惜しいかななおその量においてはな はだ貧弱である

  時事新報 1918.5.11-1918.5.18(大正7年)
    本邦亜鉛鉱業 (一〜六)

    (一) 時局前の発達
・・・省略・・・
亜鉛製錬最初の試みは明治三十二年頃神田組が秋田県小坂鉱山所産鉱石を原料として湿式法に依って金属 亜鉛の製出を企てたるを以て嚆矢(こうし)とす、されど当時はなお亜鉛製錬に対する知識経験に乏しく かつ諸般の準備も充分ならざりし為め折角の目論見も遂に収支相償わずしてその試験中これを中止するの やむなきに立ち至れり・・省略・
勃興時代
これに次で亜鉛電解鉱業会社もまた新潟県東蒲原郡五十島に同様方式の製錬工場を設け越えて四十三年に は枝光製鉄所が蒸溜法の試験に成功して亜鉛乾式製錬法の端を開き更に四十四年には大阪亜鉛鉱業会社の 摂津工場竣成し大正二年には 三井鉱山会社が福岡県大牟田町に乾式製錬工場を設けて神岡鉱山の鉱石を 処理する事となり・・・省略・・・
嚆矢(こうし)→ものごとの始まり という意味です

  滋賀大学経済学部研究年報Vol.12 2005 より抜粋 呼称を変更及び一部訂正

亜鉛電気製錬株式会社は明治45年6月、東京市麹町区内幸町一ノ三に資本金30万円で設立された。
(帝国銀行会社要録 大正元年(初版)11月24日発行 p.154 )、 大正3年7月本店を新潟県下條村五十島に移転
大正5年1月本店を京橋区銀座三ノ九に移転、5年の払込9.3万円、
筆頭取締役は飯田巽[日本練炭取締役、日本郵船監査役]であった。 また類似名の亜鉛電解特許権㈱は大正元年11月京橋区銀座3-9に資本金22万円で設立され、 やはり小出淳太さんが第三株主(192株)であった。
亜鉛電解鉱業(大正5年11月設立)主唱者の小出淳太さんが5年11月資本金250万円で 「亜鉛電解鉱業を起し、将に面目を一新」・・・
亜鉛電解鉱業は小出淳太さんが取締役を兼ねていた亜鉛電気製錬を25.2万円で買収した。

  本邦鉱業の趨勢 1912年(明治45年・大正元年)
採掘権登録第242號 鉱種:銅・亜鉛 位置:東蒲原郡下條村 鉱業人:亜鉛電気製錬株式会社
本鉱山は引続き休業中なりしも其の附属事業として嘗て亜鉛電気製錬法の特許を得るたる宮澤治七郎 管理の下試験的規模の電気製錬場設置を企画し本年10月之が起工を見たりその設備次の如し

百馬力「タービン」水車1:原動用
17馬力「ベルトン」水車1:原動用
直流式50ボルト、60キロワット発電機1:電解用
直流式20ボルト、5ワット発電機1:電解用
直流式220ボルト発電機1:動力及点灯用
幅五尺長四十二尺反射炉1:焼鉱用

其の一ヶ月に於ける鉱石取扱高は原鉱四十噸の予定にして差当り之に供用する鉱石は附近鉱山に 産出せる亜鉛鉱を買収するの見込みなるも本鉱区の事業を開始しその出鉱を以って之に供用する の計画なり

  本邦鉱業の趨勢 1913年(大正2年)
葎澤鉱山 鉱種:銅・亜鉛 位置:東蒲原郡下條村 鉱業人:亜鉛電気製錬株式会社
本鉱山は前年度起工中なりし焼鉱場、製錬場及原動所は焼鉱場中亜硫酸水製造装置を除くの外 5月に至り其の工事全部竣工し同月末より亜鉛の亜鉛電気試験に着手したり而も猶設備に補充を 要するものあり未だ予定の産出を見るに至らず

  本邦鉱業の趨勢 1917年(大正6年)
採掘権登録第48號外2鉱区 附属製錬場 位置:東蒲原郡下條村 鉱業人:亜鉛電解鉱業株式会社 本製錬場は旧亜鉛電気製錬株式会社所属工場を買収し之に改修を施したるものにして一ヶ月処 理鉱量60噸(原鉱品位35%)型亜鉛15噸を製出すべき予定なり設備の概況は次の如し



※喞筒⇒ポンプ

鉱区・産出量等
年号 鉱山名 鉱種 製品・型銅 トン数 金額 鉱業権者 
明治43:1910年 銅,亜鉛 不明 不明 不明 小出淳太
明治44:1911年 銅,亜鉛 不明 不明 不明 小出淳太
明治45:1912年 銅,亜鉛 不明 不明 不明 小出淳太
大正2:1913年 不明 不明 亜鉛13,348斤 8不明 亜鉛電気精錬
大正3:1914年 不明 不明 亜鉛50,624斤 30.2不明 亜鉛電気精錬
大正4:1915年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 不明 不明 不明 亜鉛電気精錬
大正5:1916年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 亜鉛204,707斤 122.886,120円 亜鉛電気精錬
大正6:1917年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 不明 不明 不明 持倉鉱山合資会社
大正7:1918年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 不明 不明 不明 小出鉱業株式会社
大正8:1919年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 不明 不明 不明 小出鉱業株式会社
大正9:1920年 葎澤鉱山 銅,亜鉛 不明 不明 不明 三井鉱山株式会社
1匁(もんめ)⇒3.75g 1斤(きん)⇒600g 1貫(かん)⇒3.75kg
出典:特許採掘一覧、本邦鉱業一斑、鉱区一覧 etc


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