間瀬銅山 鉱区変遷等

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年号 村名 地名等 鉱種 鉱区(坪) 鉱業権者 生産量(年) トン数
明治26:1893年 間瀬村  深ヶ沢
外三字
56,683 吉田一策    
明治27:1894年 間瀬村  吉田一策 銅47,572斤 28.5トン
明治28:1895年 間瀬村  深ヶ沢 128,909 吉田一策 銅45,522斤 27.3トン
明治28:1895年 間瀬村 深ヶ沢
耕戸山
98,060 吉田一策    
明治28:1895年 間瀬村 深ヶ沢七曲
大野積
142,576 吉田一策    
明治28:1895年 野積村 池ノ尻 18,114 吉田一策    
明治29:1896年 間瀬村  間瀬鑛山 128,909 銅69,978斤 42.0トン
明治30:1897年 間瀬村  128,909 吉田一策 銅114,318斤 68.6トン
明治31:1898年 間瀬村  深ヶ沢 128,909 吉田一策 銅107,129斤 64.3トン
明治31:1898年 間瀬村 深ヶ沢
耕戸山
98,060 吉田一策    
明治31:1898年 間瀬村 深ヶ沢七曲
大野積
142,576 吉田一策    
明治31:1898年 間瀬村 開ノ木平
大安場
10,750 赤川良作    
明治31:1898年 間瀬村 開ノ木平 8,475 赤川良作    
明治31:1898年 野積村 池ノ尻 18,114 吉田一策    
明治32:1899年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策 銅95,324斤 57.2トン
明治33:1900年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策 銅84,414斤 50.6トン
明治34:1901年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策 銅87,820斤 52.7トン
明治35:1902年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策 銅71,085斤 42.7トン
明治36:1903年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策 銅71,816斤 43.1トン
明治37:1904年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 吉田一策
11月1日から
白勢春三
銅20,130斤 12.1トン
明治38:1905年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 白勢春三 銅65,757斤 39.5トン
明治39:1906年 間瀬村  間瀬銅山 128,909 白勢春三 銅63,272斤 38.0トン
明治40:1907年 間瀬村  間瀬銅山 白勢春三 銅58,285斤 35.0トン
明治41:1908年 間瀬村 間瀬銅山 白勢春三 銅16,006斤 9.6トン
明治41:1908年 ※明治41年五月以後は専ら探鉱を主とし六月以来製錬を休止せり 
明治42:1909年 間瀬村 間瀬銅山 白勢春三 銅51,855斤 31.1トン
明治43:1910年 間瀬村 間瀬坂井鑛山 24,120 坂井三良    
明治43:1910年 間瀬村 間瀬銅山 118,653 渡辺藤吉    
明治43:1910年 間瀬村 浦濱鑛山 109,115 渡辺藤吉    
明治43:1910年 間瀬村   銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
明治43:1910年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三    
明治44:1911年 間瀬村 間瀬坂井鑛山 24,120 坂井三良    
明治44:1911年 間瀬村 間瀬銅山 118,653 渡辺藤吉    
明治44:1911年 間瀬村 浦濱鑛山 109,115 渡辺藤吉    
明治44:1911年 間瀬村 間瀬宮川鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
明治44:1911年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅66,740斤 40.0トン
大正元:1912年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅42,205斤 25.3トン
大正2:1913年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅38,194斤 23.0トン
大正3:1914年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅36,934斤 22.2トン
大正4:1915年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉 精鉱5,685貫 21.3トン
大正4:1915年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅25,752斤 15.5トン
大正5:1916年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 坂井三良    
大正5:1916年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉 精鉱33,258貫 12.5トン
大正5:1916年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
大正5:1916年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅32,847斤 19.8トン
※比較参考までに 持倉鉱山   693,968 持倉鉱山(合) 銅914,915斤 548.9トン
大正6:1917年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 白勢春三    
大正6:1917年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉 精鉱20,328貫 76.2トン
大正6:1917年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎  
大正6:1917年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅28,707斤 17.2トン
大正7:1918年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 白勢春三    
大正7:1918年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉 銅精鉱2,376貫 8.9トン
大正7:1918年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
大正7:1918年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅14,672斤 8.8トン
大正8:1919年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 白勢春三    
大正8:1919年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉    
大正8:1919年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
大正8:1919年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 銅鉱24,481貫 91.8トン
大正8:1919年 ※銅鉱⇒製錬される前の鉱石のこと 銅の生産量ではありません
大正9:1920年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 白勢春三    
大正9:1920年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉    
大正9:1920年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
大正9:1920年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三 記載無  
大正10:1921年 間瀬村 坂井鑛山 24,120 白勢春三    
大正10:1921年 間瀬村 彌彦鑛山 118,653 渡辺藤吉    
大正10:1921年 間瀬村 多寶鑛山 銀、銅、亜鉛 120,298 太刀川藤十郎    
大正10:1921年 寺泊町
間瀬村
弥彦村
間瀬銅山 金,銀,銅,亜鉛 744,633 白勢春三    
出典:特許採掘一覧、鉱区一覧 etc. 1匁(もんめ)⇒3.75g 1斤(きん)⇒600g 1貫(かん)⇒3.75kg
彌彦鑛山が数年間、間瀬銅山と表記されていたのが気になるです。間瀬銅山に売鉱していたから?

微妙に岩室村史とちがう気が・・・

1:間瀬銅山跡  2:関連文書等  3:鉱区変遷等