三川鉱山跡
三川鉱山跡に行ったよ♪坑口も多く残っているです〜ズリも多く残っているです〜どこのホームページにも載っているから〜 二次鉱物で有名になったみたいです〜☆
資料によると1530年 長居三十朗が発見とか、文書では天文二年(1534年)加賀茂助さんが、発見したことになっていますね、
元禄年間(1688年〜1704年)の頃は俗称、鬼子六兵衛こと西村六兵衛さんが経営していたらしいです、勿論このころは金と銀が中心ですね^^☆
明治24年:1891年頃は銀の製錬も行われていたようです。この頃は大谷金山と言われていたそうです。
明治42年:1909年〜明治45年:1912年塩化法で精錬が実施され、大正2年:1913年には一時的に青化法が実
施されたけど、その後は製錬をすることがなくなりましたとさ。昭和7年:1932年に日本鉱業株式会社が買収。
この頃から三川鉱山という名称に。 昭和19年7月には、従業員は432名いたそうです。従業員の家族を含めると千人以上の村ですね^^
日本鉱業㈱の経営となった昭和7年〜昭和17年(1932〜1942年)は金を中心に
採掘、昭和18年〜昭和21年(1943〜1946年)迄は国策で銅を採掘、
終戦後は金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄鉱の6種類で低品位多種鉱山として有名だったそうです。製錬施設がない為に精鉱は、
金銀銅は日立製錬所へ他に佐賀関製錬所や三日市製錬所等へ送鉱していたそうです。
昭和36年:1961年休山、6月時点で従業員数は164名だそうです。10月には探鉱所となり期間を決めて探
鉱を続けたそうですが。ついに・・・昭和37年:1962年4月閉山となりました。最後の探鉱所長は高橋梅次郎さんでした。
昔人々が暮していた場所は、不思議とあたたかい雰囲気がそこに漂っているので、好きです♪落ち着くです♪土地に残留思念が・・・土地の記憶かな?
※三川鉱山跡は五十沢生産森林組合の管理下にあり、
鉱物の採取等禁止です! 地元の怒りを買っていますよ!
大沈殿池跡☆
選鉱場跡の遠景1996年
選鉱場跡☆
当時の選鉱場
当時の選鉱場
貯鉱場のある風景
貯鉱場のある風景
置き去りのトラック
車で行けた頃
事務所跡 方向
トロッコの車輪・・
カワラナデシコの咲く頃♪
選鉱場
2000年5月2日撮影のビデオより
鉱員寮側☆
鉱員寮側に咲く水仙
川の横のソメイヨシノ
青空に映えるソメイヨシノ
諸国巡回諸鑛山略図 壱へのリンクだよん 九州大学Digital Archivesの鉱山史料の絵図だよ〜 高壮吉鉱物標本Web 展示 も素敵ですが ここもいいな〜♪
1995年の春までは、鉱員寮の方から選鉱場まで車で行けましたが、1996年の春にはその橋は、流されていました。
1998年8月の大雨で、鉱山道は分断されて、林道側からも選鉱場まで車で行けなくなりました。・・・
今でも、春になると鉱員寮跡には水仙が咲き乱れています♪
林道から選鉱場に向かう事務所跡付近にも咲いてます☆
10年の時を経て沈殿池側から鉱員寮側へは車で行けるようになっていたりして・・・