草倉銅山 粗銅生産実績表 ?
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明治15年:1882年:角神に製錬所完成
明治16年:1883年:広谷銅山・広谷鉱山を所有し角神にて製錬を始める
金属鉱山研究 77号 p.31より転載但し明治8年の下半期は割愛しました。
(鉱務部統計表より)とありますが内部資料かは不明です。他のヒトの項もそうですが、
原本と加筆部分が混在していて良くわからんとですたい。
産量も各資料にバラツキがありますので、相対的変化をお楽しみ下さい。
金掘銅山等・近隣銅山からの買鉱分を合計した量?
想像の域を出ない足尾銅山には鉄索があったが、草倉銅山では人が背負って鉱石を運搬、後に牛馬を用いたようです。
1875 | 明治 8年 | 11月 | 相馬子爵家名義にて草倉及び赤柴銅山を経営す |
1876 | 明治 9年 | 7月 | 松平伯爵家と山形県幸生銅山の経営を協約す |
1876 | 明治 9年 | 12月 | 相馬家より草倉銅山を譲受ける |
1876 | 明治 9年 | 12月 | 30日副田欣一氏より足尾銅山譲受、志賀直道氏と共同経営 |
1877 | 明治10年 | 3月 | 15日足尾銅山現場の引継ぎを受ける |
1877 | 明治10年 | 10月 | 1日足尾銅山借区名義書替を認可される |
1877 | 明治10年 | 福島県八総銅山の経営に着手する | |
1878 | 明治11年 | 足尾銅山の経営困難を極める | |
1878 | 明治11年 | 新潟県の谷花銀山を買収す | |
1879 | 明治12年 | 大島高任氏と共同にて軽井沢銀山を経営す | |
1879 | 明治12年 | 12月 | 12日東京日本橋瀬戸物町に移転し、本店とす |
1880 | 明治13年 | 2月 | 澁澤栄一氏、足尾銅山の経営に参加す |
1881 | 明治14年 | 5月 | 足尾鷹の巣坑の鉱脈に当る |
1881 | 明治14年 | 軽井沢銀山を単独経営となす | |
1881 | 明治14年 | 足尾本口堀進 | |
1883 | 明治16年 | 広谷銅山を経営す | |
1884 | 明治17年 | 足尾横間歩ヒ大鉱脈 足尾銅山これより栄ゆ | |
1884 | 明治17年 | 8月 | 足尾直利橋製錬工場新設 |
1884 | 明治17年 | 10月 | 東京本所鎔銅所操業開始 |
1884 | 明治17年 | 院内銀山、阿仁銅山、太良鉛山、加護山製錬所の払下を受ける | |
1885 | 明治18年 | 6月 | 足尾有木坑を初めて鑿岩機を使用して開鑿 |
1885 | 明治18年 | 9月 | 足尾・和田ヶ淵より大通洞を開鑿す |
1886 | 明治19年 | 3月 | 足尾本口坑内に初めて動力ポンプを設備す |
1887 | 明治20年 | 中天井、仙翁、弘仙、美含、水澤の銀山経営に着手 | |
1887 | 明治20年 | 8月 | 不老倉銅山を譲受ける |
1888 | 明治21年 | 5月 | 足尾有木本口間大竪坑完成 |
1888 | 明治21年 | 6月 | 澁澤栄一氏、足尾銅山の経営から離脱 |
1889 | 明治22年 | 5月 | 本所鎔銅所内に電気分銅を設備す・電気分銅の始まり |
1890 | 明治23年 | 10月 | 足尾細尾峠の鉄索運転を開始す |
1890 | 明治23年 | 12月 | 足尾間藤に日本初の水力発電所が完成 |
1893 | 明治26年 | 11月 | 足尾にてベセマ式製錬成功 |
1894 | 明治27年 | 2月 | 長崎県太田炭坑を経営す |
1894 | 明治27年 | 7月 | 福岡県下山田炭坑を譲受ける |
1894 | 明治27年 | 秋田県能代港に東雲製錬所を建設 | |
1895 | 明治28年 | 本所鎔銅所内に銅線工場を建設 | |
1895 | 明治28年 | 日光電気精錬所が操業 | |
1896 | 明治29年 | 9月 | 渡良瀬川大氾濫 |
1899 | 明治32年 | 静岡県久根鉱山を買収す | |
1899 | 明治32年 | 11月 | 山形県の吉野鉱山を譲受ける |
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