草倉銅山・草倉鉱山 後期産量
拾った資料から産量だけ纏めてみたけど、大正2年(1913年)8月22日に
カロリン諸島の北方洋上で発生した雨台風による豪雨8月27日の新潟測候所での日最大雨量は81.2mmを記録。
これによる洪水で選鉱場が流失したけれど、精錬場も無傷とも思えないしね。舟も流されたよね多分・・・選鉱できないと精錬出来ないしね、
産量も減少していたし再建しても採算の目処がたたなかったのね多分それで、角神での精錬を止めて日光精錬所で、精錬する事になったのかな?
大正2年までは精錬銅ですが、大正3年以降の産量は銅精鉱、精錬前の鉱石の量が掲載されたと考えると辻褄が合うわけだしね。
精錬が中止されて大幅に縮小されたから大正3年に閉山とかローカル出版物に書いてあるわけ? 酷いのだと大正3年に廃坑と迄書いてあったしね。
大正9年迄は、細々と採掘していたようですね。大正のバブル景気の終焉頃の大正9年に、
閉山した銅山や鉱山って多いけど物資不足の第二次世界大戦中に強引に再開発せざるを得ない状況に。
経済封鎖されていたので使い道のない金なんかを掘るな、戦争に使えるモノを掘れで、金山は衰退し強引な施策で鉱脈尽きたヤマを掘り返したりで荒れて、
平和な今の世は、地図を載せたり採れた鉱物をネット上で公開すれば常識の欠落した鉱物マニアで産地は荒れて山も崩れるしね・・・
三川鉱山も立入禁止・採取禁止にされたしね地図等載せるとそうなるよね ┐(゚〜゚)┌
明治13年の資料によると、舟内澤銅山はまだ長谷川宗十郎さんの鉱区となっていたわけね、そうなんだ。東山鉱山も、別の方 へぇ〜そうだったのですか。
産量は、金掘銅山・鹿瀬鉱山等から買鉱した分も含んでいるのでしょうね。。
※各種の統計資料と本邦鉱業一斑の数字に齟齬を生じた場合は後者の数字を採用しました。
年号 | 西暦 | 鉱山名 | 鉱区面積(坪) | 産年 | 産量(原本) | 産量 |
明治26 | 1893 | 草倉鑛山 | 57,563 | 明治26 | 696,650斤 | 418.0トン |
明治27 | 1894 | 草倉鑛山 | 373,039 | 明治27 | 964,276斤 | 578.6トン |
明治28 | 1895 | 草倉鑛山 | 373,039 | 明治28 | 647,504斤 | 388.5トン |
明治29 | 1896 | 草倉鑛山 | 648,366 | 明治29 | 553,225斤 | 331.9トン |
明治30 | 1897 | 草倉鑛山 | ? | ? | ? | |
明治31 | 1898 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治31 | 454,990斤 | 273.0トン |
明治32 | 1899 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治32 | 376,878斤 | 226.1トン |
明治33 | 1900 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治33 | 404,837斤 | 242.9トン |
明治34 | 1901 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治34 | 584,367斤 | 350.6トン |
明治35 | 1902 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治35 | 859,695斤 | 515.8トン |
明治36 | 1903 | 草倉鑛山 | 594,803 | 明治36 | 940,834斤 | 564.5トン |
明治37 | 1904 | 草倉鑛山 | 600,000 | 明治37 | 979,921斤 | 588.0トン |
明治38 | 1905 | 草倉鑛山 | 1,059,500 | 明治38 | 609,650斤 | 365.8トン |
明治39 | 1906 | 草倉鑛山 | 653,569 | 明治39 | 693,754斤 | 416.3トン |
明治40 | 1907 | 草倉鑛山 | 653,569 | 明治40 | 501,445斤 | 300.9トン |
明治41 | 1908 | 草倉鑛山 | 1,263,987 | 明治41 | 402,600斤 | 241.6トン |
明治42 | 1909 | 草倉鑛山 | 876,412 | 明治42 | 375,909斤 | 225.5トン |
明治43 | 1910 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 明治43 | 378,173斤 | 226.9トン |
明治44 | 1911 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 明治44 | 281,601斤 | 169.0トン |
明治45 | 1912 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 明治45 | 136,238斤 | 81.7トン |
大正02 | 1913 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正02 | 80,772斤 | 48.5トン |
大正03 | 1914 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正03 | 銅精鉱16,629貫 | 62.4トン |
大正04 | 1915 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正04 | 銅精鉱30,938貫 | 116.0トン |
大正05 | 1916 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正05 | 銅精鉱88,473貫 | 331.8トン |
大正06 | 1917 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正06 | 銅精鉱109,772貫 | 411.6トン |
大正07 | 1918 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正07 | 銅精鉱45,101貫 | 169.1トン |
大正08 | 1919 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正08 | 銅精鉱23,267貫 | 87.3トン |
大正09 | 1920 | 草倉鑛山 | 1,057,576 | 大正09 | 銅鉱7,655貫 | 28.7トン |
大正10 | 1921 | 草倉鑛山 | 1,057,576 |