草倉銅山 滑瀧附近
草倉銅山・草倉鉱山には6000人も住んでいたとか云われているけれども明治39年:1906年の新聞記事によると戸数260戸、
人口1826名とかあるんですけどね・・・本山に6000人も住めないと思うけどね根拠が不明だよね。
人口問題はさておいてと、そんな大規模なヤマを草倉沢横の本口坑ひとつで済ます訳にもいかないですよね、
で旧滑瀧銅山・滑瀧鉱床を目指しましたが、当時の道を通らずに尾根道をまったりと歩いて獣道を強引に降りたら、危うく竪坑?に落ちる所でした。
剣呑。奥ヒの延長地帯かな? 資料の地図と違う・・・予定地点より可也手前にあったので吃驚。第一坑道とか滑瀧本口に着く前にお祭り状態、
油断大敵・足元注意・落石注意。脈に沿って上手に掘ってあるのね、最深で7m位、巾は1m弱程度ですかね。滑瀧というより品ヶ谷銅山跡附近だったのね、
それにしても滑瀧本口って微妙な高さで凄い位置にあるのね、あそこ迄登りたくないな・・・滑瀧ってなんて読むのかな? ナメリタキでいいのかな? 滑滝
滑瀧は明治40年:1907年迄稼行されていたけれども品質不良の為採掘を休止したそうです。
竪坑? 真上から撮影
竪坑?の横は南東に水平堀
やや大きな露天掘り跡
やや大きな露天掘り跡
別の一応露天堀跡の上を見るの図
横木・支保工が新鮮? 戦時中に掘ったの?
脈の部分を上手に掘った♪
深さ7m以上はありそうです
程良い傾斜?
滑瀧左岸の上 坑口かな?
不動明王でした 十五円を奉納♪
不動明王の手前
滑瀧 午後3時 お昼頃が丁度いいかも!
涼しそう♪
参考資料
・金属鉱山研究 第77号
・東蒲原郡史
・日本の鉱床総覧(下巻)
・新潟県地質図解説書 1977
・本邦鉱業の趨勢
・その他
・金属鉱山研究 第77号
・東蒲原郡史
・日本の鉱床総覧(下巻)
・新潟県地質図解説書 1977
・本邦鉱業の趨勢
・その他