多宝山界隈
多宝山付近には多くの坑口が残っているよと、郷土誌に書いてあったのでそれらを見てから、
多宝鉱山の坑口を探そうと思ったのですが・・・
読んだ本には可也の坑口らしきものが描いてあったけど3個しか見つけられなかったです。
一旦下山してから、別コースを登って多宝鉱山の坑口を探そうとも思いましたが、可也高度を稼いだようですし、登
山道らしきものがあったので、取り敢えず多宝山の頂を目指しました。とても知名度の低いコースだったらしく、
10歩進んでは休む速さにも拘わらず誰にも抜かれる事もなく頂上に着きましたって、
それにしても人が多いよ、土曜のお昼時。 633.8mの多宝山、虚弱体質にはきついです
2006年に、ドップラーレーダーを備えたレーダーサイト、
24歳の若さで此処で殉職した、津川町出身の加藤左右一さんの殉難碑や天測点の碑、
三角点とかあるんです。
昔は、有人の施設だったんだよね。下の清水を飲んで、下痢したと今は廃刊になった「気象」で読んだような記憶が・・・
それにしても元気な中高年の登山者が津波のように押し寄せてくる・・・
皆さんスゴイっていうかこっちが軟弱なだけなのね・・・下山開始、途中「坂井銅山史跡」の碑を見学、
写真等は坂井鉱山跡の方に追加掲載しました。
多宝鉱山の坑口があるであろうと予想した地点へ・・・見つけられませんでした。
坑口かな?
奥行きはないです 昭和の空き缶が多い!
この坑道は深そうです
可也奥まで続いていそうです高さもありました
この坑口群は、昭和6年新潟市水上ヨイ氏が硫酸製造の為に黄鉄鉱を試掘したものか、 もしくは銅鉱目的の年代不明の採掘跡か明治初年もしくは大正6、7年の試掘跡の何(いず)れかでしょう。個人的には黄鉄鉱の試掘跡だと妄想しておりますが。昭和13年:1938年7月から吉田イトさんの試掘もあるのね・・・
こちらは、崩れかけていました
気象庁のドップラーレーダー サイト
加藤左右一さんの殉難碑
天測点^^
気になるな〜
この付近も怪しいかも
※参考資料 ↓↓これらの坑口群は、多宝鉱山とは別物です。大正時代の資料には石瀬鉱山なるものが登場しております。
何故か鼻の穴を連想してもうた
二段堀の下段側