椋平広吉さん


椋平広吉さん(明治36年〜平成4年10月8日 享年89歳)〔1903〜1992〕
虹で地震を予知したと いわれた方

「虹のをぢさん」沖野岩三郎 著の童話によると 17歳の時に不思議な虹を見た、その翌日に地震が起きたと新聞で知った、地元の古老に聞いたらそれは「日の粉(コ)」であると。それが出てから、 三日以内には、嵐になったり地震が起こると言われた。それ以来この不思議な虹の観測をはじめたそうです。  大正12年の関東大震災、昭和2年の北丹後地震も 予知したと言われております時は流れ昭和5年11月25日昼過ぎ、天橋立郵便局から京都帝国大学の理学部長の石野又吉さん宛てに電報を送った、届いた電報の内容は次のようなものであった。
 「アスアサ四ジ イヅ ジ シンアル」
昭和5年11月26日午前4時3分、静岡県東部に北伊豆大地震が発生マグニチュード7.3死者の数223名、 家屋全壊2,165 震度6丹那断層がズレた震災でした。
 ☆ミックン、丹那断層を見たことある〜よ〜それから、どしたの?☆
この予知が電報文と共に新聞に掲載されて、時の人となりました。 27歳の時でした観測方法は分度器に手書きしていたそうです。虹の形で震源の方向が、虹の長さで震源までの距離が、虹の色の濃さで地震の規模が、虹の出ている時間で何時間後に発生するのかが解かったそうです
。  京都帝國大学の理学部教授の志田順さんが椋平さんにあったそうですが。二人きりで合うはずが、記者が汽車で来ていた^^ 複数の記者が汽車で・・・・結果は今でいうところのノーコメントでした・・・・・・
 ☆誰が呼んだのでしょうか?? 情報漏れ? それから、どしたの?☆
その後、のちの中央気象台の五代目の台長となり、台風が2個が近づくとお互い進路を干渉し合う、 藤原効果を発見する藤原咲平さん【長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)出身】が昭和6年に椋平さんと接触し、和歌山県の田辺市に招き、 その地での観測を勧めたそれから20年近く、生活費を送って椋平さんを援助したそうです。 藤原さんの甥の、作家の新田次郎さんは、椋平さんには懐疑的だったそうです。  藤原さんは東京帝國大学の教授で当時、田辺には東京帝國大学の田辺地動観測所があった事と、椋平さんがここでも椋平虹が見えると確認したからです。 藤原さんは、昔に千里眼実験をやった事もあるしね。未知なるものには、真摯に向かった方です。
 ☆他の場所じゃ見えないってこと? (??)それから、どしたの?☆
昭和12年に、藤原さんは椋平アークとして論文を発表したそうです。英語の論文でした、A〜O迄の15種類の絵が掲載されていたそうです。英語か・・  その後、宮本貞夫さんが椋平さんに接触しておりますです。昭和22年(1947年)宮津に戻っていたので、分度器に手書きという、その観測方法を目の当たりしました。 資料から宮本さんが予知の確率86%を検証した結果25%位であると判定。その後、昭和29(1954年)年2月2日に日本地震学会の「地震」第2輯(しゅう) 第7巻 第2号には「椋平虹と地震が直接的に関係なき証明」として発表されています。 今でも、日本地震学会のHPからタイトルには辿り着けると思いますが。これを、契機にマスコミから無視され世間からも忘れてしまった時期がありました。宮本さんの次の章は、確か地震前の発光現象の記述があったようでしたが・・・・
 毎日新聞の読者の投書をきっかけに 再び椋平虹が注目される時代が来ました、時に昭和45年1970年のことでした。この時、一人の科学者がまた椋平虹に正面から取り組みました。  その方は京都大学 阿武山地震観測所、所長の三木晴男さんでした。三木さんは、椋平さんの地震予知の確率の証明が全てハガキである事に、 時間的問題がある事を危惧し、事前に電話での予知の報告を依頼しましたが、椋平さんの拒絶にあいました、その時の三木さんの思いは・・・・ 三木さんは、同じ時代に生きている、人間として深い慈しみを感じていました(三木さんてスゴイ!)、そして地震予知への可能性を模索し続けていました。 三木さんは、椋平さんが観測している方向に昭和50年1975年 3月25日から翌年の、1976年 2月15日までカメラを据付、定点観察を続行しましたが・・椋平さんの言っている、虹が写ることがあり ませんでした。(三木晴男さん2000年3月4日逝去 享年76歳でした・・・)
 その後、毎日新聞社の記者の横山裕道さんが椋平虹を調査に、この当時椋平さんは宮津に戻っておりましたとさ。 その後、ハガキによるトリック!が暴露されました・省略・それで、全てがインチキ扱いにされましたとさ、フ〜ン☆  それでも昭和5年の電報は事実であり、予知はあの日あの時までは事実であります。17歳の時からの「気象日誌」は、 地道に観測していた結果です。暴露記事が出ても一日3回の観測を続けていたそうです。雨も曇天も関係がないようでした。
 最近の地震予知関係で、椋平虹とか椋平アークと言われているものは殆ど【幻日】げんじつParhelia ですね、残りは水平環か・・・ 17歳の時に古老に聞いたように低気圧等の接近前に見られる高層の雲による光学現象ですね。気圧が1hpa下がると海水面が1cm上昇する位の大気圧ですから、 低気圧や台風は、地震との関係があるのかも知れませんね。椋平アーク=幻日というのが独り歩きしているようですが、果たしてそうなのでしょうか?   何故、雨の日でも観測したのか・・・・椋平虹は、本人にしか見られなかったようです。椋平さんがその場にいた人々に、 あそこに・・・出ていると言ったけど、その場にいた人々は誰一人見ることは出来なかったそうです、椋平さんの晩年の頃の話ですが  地震予知に真摯に立ち向かった先人には、本当に尊敬いたします。少しでも可能性があればと、解明しようとした科学者たちの心の温かさにも感動致しました。
昭和5年以前の観測記録をみたいものです、天の橋立 まさに天と地を繋ぐ橋。正直者に、天が見せてくれた虹なので しょうか? 純粋な心の持ち主にしか見えない幻の虹。


Mukuhira's arc
Mukuhira's arc

本当は ただの予知夢だったりしてね