鉢前鉱山、鉢前銅山跡、鉢前坑口
1月だと云うのに、こんなに良い天気で積雪もないとは、何かのサインですか?
ジュセリーノ予言のとおりになっちゃうのかな。という事で早春?の弥彦詣で、です。
弥彦山系には、試掘したのを除いて手持ちの資料から妄想すると、多宝、坂井、弥彦、間瀬、鮫、そして鉢前の6個位の鉱山があったようです。
で今回は、鉢前鉱山、鉢前銅山跡を見に行きました。
今回は、第一村人さんに大変お世話になりました。本当に、有難うございました。
それにしても、凄い散歩コースの第一村人さん・・・間瀬郷土史、岩室村史に掲載されていた地図は、全く別の所が記載されていたので、
今回は昔の絵図を頼りに歩いて見ました。天気が良かったので林道の終点には既に4台登山をされる方々の車が止められていました。
この地域には、熊は生息していません♪ 2007年現在、猪もまだこの付近迄は北上していません。
野積村鉢前銅山繪圖には、鉢前敷口と菜畑敷口の2つの坑口が描かれていますので、
なんとなく鉢前坑口と菜畑坑口を別々のページにしました。絵図にかいてある敷者って何の事?って聞かれてもわかりません。
これを作成時手元の資料は、絵図以外には、間瀬郷土史、岩室村史の今井義雄さん談による記述以外に資料がないのですが。
あとは昔の地質図に名前だけ残っている位ですかね。絵図には、焼釜の他にも何か文字が書いてあるけど印刷がね床屋かな?
床屋(床って炉の事らしいよ)は、焼いた鉱石を砕いて精錬迄の一連の作業をする施設の総称この絵図では吹場(精錬施設)、
金場(焼いた鉱石を砕き選別する)の文字は読み取れましたが、あとは判?場なのかな? 残りの建物の文字は、印刷の都合で分かりません。
※焼釜:鉱石(この辺りでは黄銅鉱)を焼く釜。石が脆くなり砕き易くなるし硫黄分も除けます、
この過程で有毒な亜硫酸ガスが発生するよ。後の時代では硫酸も作った訳ですが・ある資料では、
一ヶ月位は焼くと書いてあったりして・・・小さく砕けば、もっと短時間で済むの?
↑上の図の赤丸の所が鉢前坑口です。繪圖には、鉢前敷口と書かれています。
坑口から赤い線が伸びていますが、鉱脈の方向を示しているようです。
鉢前、菜畑ともに坑口から東の方向に堀進んだって事のようです。
上の図は「日本の鉱山文化」国立科学博物館:1996に掲載されていたものです、かはくの売店で買ったものです。かはくには2003年に、載せてもいいですか?と、メールしたけど
返事が無!だから今回は載せました。ウハウハo(^-^o)(o^-^)o
越
野 後
積 國
村 三
鉢 嶋
前 郡
同 同 菜 同 同 鉢 従 従 銅
畑 前 麓 野 山
敷 敷 村 積 繪
者 者 至 村 圖
従 従 銅 至
金 金 山 銅
場 場 半 山
登 高 直 登 高 直 里 一
二 四 径 一 二 径 計 里
百 十 二 百 十 一 計
一 二 百 一 四 百
十 間 零 十 間 零
間 九 二 間 四 七
二 寸 間 四 尺 間
尺 一 尺 五 二
七 尺 六 寸 寸
寸 八 寸 程
寸
程 |
ここですか? 完全に水没状態
更に進むと これかな?
入り口付近、東の方向に掘られています 絵図と同じです
更に上の方にもありました
近くには露天堀の跡がありました^^
本当は自然の造詣だったりして・・・
露天堀は南北方向に伸びています