鮫銅山付近
鮫銅山を目指しましたが、多分違う所に着きました。敷口跡を、見付けられませんでした。
絵図の印刷したのを持って行かなかったし・・・道の分岐点での選択がね・・・たまにはこんな事もあるよね。
一応、ズリとドラム缶の残骸、焼釜用?の石積み、レールの残骸とコンクリートの土台さんたちに出会えました。これら全て、繋がりがあると妄想すると・・・
※日本でのドラム缶の歴史(ドラム缶工業会HPから)
1924年(大正13年)に、船の出入り商人が名古屋港に入港した米国船から空ドラム缶を買い取り、店頭に陳列したのを、
新潟の小倉石油(後に日本石油と合併)が買い取ったのが、日本における最初のドラム缶の到来といわれています。
1929年(昭和4年)には日本石油と小倉石油により、日本で始めてドラム缶の製造が開始されたとか。
※コンクリートの歴史(現代のコンクリート)
イギリスで発明された(1824年にアスプディンによるポルトランドセメントの発明)
日本で始めてコンクリートが使われたのは、1897年(明治30年)
北海道小樽築港事務所でコンクリートブロックを積んだ防波堤が作られたのが最初といわれている
鮫銅山に辿り着いたのはこちらから見てね ⇒ 鮫銅山跡へ
ズリでした
ズリの向うは ひらけています ドラム缶の残骸
ヤケ?
坑口が埋もれてしまった予感
焼釜用の石積みだよねまさか・・
荼毘(だび)用じゃないよね・・・
レールが突き出ていました 4本ありました複線か・・・
レールの反対側にはコンクリートの土台
架空索道の土台? なのでしょうか?
土台の上の方は階段ですか?
雪割草が咲いていました
って1月ですけど 2007年・・・