紫蕨鉱山
紫蕨鉱山は東蒲原郡西川村大字神谷にありて大清水鉱山の南方約一里半、紫蕨澤の上流海抜高距900m の地に位す、
地勢は峻険にして交通不便なり
本鉱山は大清水鉱山の支山にして明治41年5月より銅鉱を採掘し同年9月より製錬を開始せしが大清水鉱山の休業せるに先んじ休業せり、
操業以来の産額下記の如し
年次 | 精錬元鉱高(貫) | 産銅額(斤) |
明治41年(5月より) | 24,900 | 9,330 |
明治42年 | 126,000 | 51,250 |
明治43年 | 133,800 | 54,730 |
明治44年 | 156,000 | 58,860 |
明治45年 | 197,952 | 23,704 |
大正 元年 | ||
大正 2年 | 29,198 | 1,765 |
地質は大清水鉱山と略ぼ同様にして主として古生代粘板岩、 硬砂岩及石灰岩より成り南北に走り西方四五十度に傾斜す、 鉱床は石灰岩を上盤とし粘板岩を下盤とし其の間に介在せる層状の鉱体にして母岩と同じく南北に走り西方五十度に傾斜し数條あるものの如し、 大正元年巡回の当時は鉱床の殆んど全部採掘し尽くされ専ら北西方に於ける鉱床の露頭を採取し製錬に供せり、 鉱石は大清水鉱山のもと同じく黄銅鉱、閃亜鉛鉱、硫砒鉄鉱にして柘榴石、灰鉄輝石等を含み其含銅品位は選鉱せるものにて平均百分中約 6 .1 なりと云う
日本平鉱山
日本平鉱山は東蒲原郡揚川村大字谷花にありて大清水及び紫蕨両鉱山の中間、日本平山の東に位す、地勢急峻にして交通頗る不便なり
本鉱山の其の沿革詳らかならざるも往古より時々採掘せられたるが如し、
明治43年風間平治銅鉱及び亜鉛鉱の採掘に着手し小規模に稼行す明治44年以後の鉱石の産額は下記の如し
年次 | 銅鉱(貫) | 亜鉛鉱(貫) |
明治44年 | 5,200 | − |
明治45年 | ||
大正元年 | 13,000 | − |
大正2年 | − | |
大正3年 | 19,000 | − |
大正4年 | 2,250 | 2,500 |
地質は大清水鉱山に於けると同じく古生層より成り其の層向及傾斜も亦同様なり、 鉱床は粘板岩中又は粘板岩と石灰岩との間に介在する鉱体にして南北に走り西方四十五度に傾斜す、 大正元年巡回当時は専ら露頭の鉱石を採掘せり、露頭に於ては鉱床の幅最大五尺に達し延長詳かならず、 鉱石は黄銅鉱、閃亜鉛鉱及斑銅鉱にして黄鉄鉱を含み精鉱の含銅品位は平均百分中三、亜鉛鉱は百分中三十なり