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 気になる検索語についての感想等を、だらだらとメモしてみました

#013
寺田 宝山 新潟県村松町
村松町の各地に埋蔵金の話があるんです、寺田、宝山もそんな場所ですね。金の瓶(かめ)に 金銀財宝がざっくざっくとか。埋めた目印には日本各地に伝わる御馴染みの白南天の木を植え た事になっております。
埋蔵金の話をすると、スッパ(忍者)に殺されるとか言われていたりしてね。そんなにしてま で守っているのなら、さっさと掘り出しておけば〜という話ですね。結構、宝とい文字の着く 地名とか山があるけれども、宝ってキノコとか山の幸だけだったりしてね。名付けられた時代 によって、宝の定義が違うような気がしますね。山岳信仰と混ざると余計に複雑になりそうで す。
いつかの不定期日記に書いたように、白南天の木って都合良く入手出来るのかな?仮に本当に 入手出来て、植えてあったとしても、とうの昔に枯れている筈ですよね、それか落ちた種で別 の場所に生えたりするのでは?
目印は多くの言い伝えでは白い花とか白色系が多いようです。私は、山で南天の木自体を見た 事がないのですが。とある書物に、この村松町の金の瓶(かめ)は既に掘り出されており、今 は東京にあると書いてありました。埋蔵金の類は、掘り出すと拾得物扱いにされるので、面倒 を避けるために届けずに売りに出される事が多いとか、目にした事があったような気がします
意外に身近な所に、埋蔵金が・・・埋蔵金の上で暮らしていたりしてね。

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#012
弥彦 金山
そういえば、年上の女房は金のわらじを履いてでも探せとかね、金(きん)のわらじではなく て金(かね)のわらじ、長持ちする金属製の丈夫なわらじを履いてでも探せという意味ですね 金(きん)のわらじなんかを履いていたらすぐに追いはぎ等に奪われますよね。
昔は、鉱山という言葉がなくて金山(かなやま)と呼んでいたそうですね、鉢前が遥か昔は八 枚なら一日に小判が八枚採れる程の金山(きんざん)だったりしてね。尤も、江戸時代が鉢前 銅山で昭和の時代には、八枚金山(はちまいかなやま?)と表記が・・・鉱種は銅と明記して ありますが。菜畑坑口の所でも触れたように、昭和6年:1931年の8月3日、剣ヶ峰で金の試 掘が開始されたそうですが、その後の情報がないので結果は容易に想像できますが。

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#011
大毎 岩船鉱山
岩船鉱山ですか、離れた所で水鉛を掘っていた別な岩船鉱山もあったのね。同じ名前の鉱山が あちらこちらにあったのね。こちらの方は錫を掘っていたそうで、錫石とか出たのね。大沢鉱 山跡でも記載したように、三菱鉱業の経営により錫・鉛・亜鉛を採掘していたが、昭和3年(1928年) に休山したとか。広域調査等の記述では、1920年頃、三菱鉱業鰍ノより2〜3年稼行。この間 の生産400t。
他の資料には試掘鉱区2箇所で、昭和2〜4年(1927〜1929年)の産量が 343dという記録が残っています。
大毎にはコウモリ岩というのがあるそうで、何かの試掘跡でしょうか?地元の加藤さんが、 子供の頃親に連れられて行った事があり、大人になってから行こうとしたけど一回では辿り着 けず、出直して漸く辿りつけたとかね。コウモリ岩の附近では、炭化した米が見つかるそうで す、大量の焼おにぎりの失敗作ではないみたい。近くの鉱山では万人もの人が死んだという噂 があったりしてね、尤もそんなに人口がある分けが無いけれど、多くの人が死んだという喩え 話なんでしょうか?
コウモリ岩と加藤さんの話は山北町の住人にしか共感を得られないネタなのですが。炭化した 米と、死人・・・水谷銀山の死人沢を彷彿とさせる?

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#010
蔵光 新発田 鉱山
#003 新発田市菅谷 鉱山と被りますね?蔵光といえば蔵光鉱山こと水谷銀山でしょうかね、 日本金山誌に掲載されていなかったら行く事もなかったのですが。銀山なのに掲載されている のはなんだかな〜ですが。結構鉱区が広くて、まだ見ていない場所があるんですけどね。オカ ルトスレには死人沢とか書込みがありましたが、昔からの銀山で人を近づけないように流した 噂か落盤で大勢死んだとかの類も想像できます。ついでに、死人沢に近付くとスッパに殺され るとか噂を流せば、疑心暗鬼等で効果倍増の時代でしょう。戦国時代の炭化物が落ちていると かも書いてあったけど、銀は現地で精錬していた筈ですから、カラミや炭などが大量に落ちて いても当然の事でしょう。戦国時代とか迄遡る事もなく明治時代のものではと、推察致します
鉱種を広げれば、白土とか陶石・三光石も、場所によっては坑内堀りをしていたようで、坑口 の印が記載されているのね。離れているけど小出では、菅谷炭鉱と称し亜炭を掘っていたみた い。流石に高知山鉱山は、離れ過ぎですかね。

#009
笹神村 発電所
新潟水電鰍フ大荒川上流発電所と下流発電所の2つあったようです。笹神村史に記載がありま した。昭和5年(1930年)の書物によると、当時は電気山と呼ばれ小学生が遠足で行くような 場所だったようです。赤安山附近を徘徊しなかったら、その存在すら知る事はなかったでしょ う。下流発電所って国道より上流側?さっぱり分からんとですたい。

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#008
村松町 炭鉱跡
埼玉在住の方ですか。村松町って中蒲原郡の村松町なのかな?村松町で亜炭採掘でしょうか? 全く分からないです。村松町は炭焼きの印象しかないです、実際炭焼き窯の跡なら、何箇所か 見た事はありますが。炭焼きは、他の地域から齎された技術だと記してある書物もありますが 大体のものはそういう事になりますが。あっても不思議は無いでしょうね。石油産業が盛んの 頃は、精製のために必要な白土を採掘していた場所が数箇所あったのは知っていますが。

#007
弥彦神社見取り図
神社って奥が深そうですね。家の近所にも複数ありますが、そんなに多くの種類が必要なんで しょうかね? 奇岩とかパワースポット?そんな所にある神社は、自然崇拝的に出来たと想像 出来ますが、私的な理由で建てたのとかも多そうですね。埋蔵金の隠し場所の上に建てたり? 景気の良い時代に立派な箱物じゃないや神社を建立すると後の時代のヒトに迷惑が掛かるんで すけどね。維持や改修が大変なんですけど。閑話休題、弥彦神社の配列で何か分かるのかなそ れとも、何か盗みに入るつもりなのでしょうか? そういえば、弥彦神社には幻の櫻の木を、 非公開で維持管理している事になっていますが、実際は枯死させおり、密かに同じ種類の櫻の 苗を入手して育てている最中なので非公開、という事はないですよね。

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#006
early one morning みんなのうた
素敵な曲ですね、アンサンブル・プラネタで聴いた時にどこかで聴いたような気がして、もし やこれは前世の記憶?!前世はエゲレスの地か・・・ って、想ったけどよく考えたら、ナナ・ ムスクーリさんで聴いていたりしてね、みんなのうたでやっていたならどこかで耳にする機会 も多かった筈ですね。
みんなのうたのテキストには「走れ並木を」イギリス民謡 小林純一:作詞 荒谷俊治:編曲 その下にEarly one morning とあります。 逸脱ついでに、前世の記憶は専門家の退行催眠で ある程度分かるようです、勿論異論もあるでしょうがね。縁のある方が、経験されてそれであ る程度自分の前世も垣間見られたので、前世はエゲレスの地か・・・とそんな時期に聴いたも ので。縁のある人は時代場所が変っても出会うのが殆どのようです。初対面なのに馬があうと か、妙に懐かしい気がすると感じた経験は、多くの方が経験して居る筈。心で感じる事が肝要 ですね、只でさえ感じるチカラが衰えている時代ですので。今の生き方を知れば前世の生き方 とは、さほど大差がないようです。生まれてくる時に、レイテの泉の水を飲んで、前世の記憶 を封印して生まれて来るのだから無理に想い出す事が必要じゃなくて、温かい心で向上心を持 って生きる事が大切なんでしょうね。
脱線ついでに、某カルト教団の教祖もどき?の方は、宗教者だった事がないようです、今と同 じで政治色の濃い、支配欲、名誉欲丸出しの人間なんだけど、曇った目には見えないんでしょ うね。自称、キリストや仏陀の生まれ変わりと主張している輩は全てニセモノだそうです、い つの世も人々を惑わす暗黒勢力の手先になるという事かな。

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#005
八枚沢鉱山
鉢前は放置してと、普通金山なら一日に小判八枚分の金が採れるとかいう産出量から呼ばれる 事が多いのでしょうね。

#004
羽下ヶ淵
羽下ヶ淵といえば、瀬波郷土史にE亜炭鉱 1940年代、三面川右岸の河岸段丘に亜炭鉱があっ た。との記述が・・・新潟県地質図説明書の主要休廃止鉱山に“羽下ヶ淵炭鉱”の記載はない 更に、亜炭の質があまりよくなく、たどんのなどの原料になっていたらしい。とありますが、 たどんが分からんとですたい。“寝具のみくに”さんのHPに画像があって助かりました。 瀬波郷土史の亜炭鉱は、不二炭鉱の事らしいです。


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#003
新発田市菅谷 鉱山
菅谷ってあの不動尊がある附近の狭い範囲なのか、合併前の菅谷村を意味するのかが不明です が、附近には菅谷鉱山ってマンガンを採掘したのがあったみたいですが。詳細は不明です。 別な資料には水戸新平さんが別な鉱種・水鉛を含むで掲載されているけど、凡その場所しか記 載されていなのですけどね。明治30年代の燐鉱山って何処にあったのやら?藤井龍寛さんて どなた?燐鉱山というと海鳥の糞の塊というイメージが頭から離れない。

#002
ドライブイン岩室
ドライブイン岩室といえば、新潟のオカルトスレにだいろ坂の建物跡が保養所跡とか間違った 情報が で、思わず“ドライブイン岩室”と書き込んだような気がします。オカルトスレを、 覗くようになったのは、西蒲原怪奇研究所からの流れだったように思います。ちなみに、蔵光 鉱山・水谷銀山についての書込みは一切しておりません。文体が違い過ぎますね。
間瀬銅山跡に解体された年も記載があります。航空写真は訂正の記録にあります。

#001
間瀬 炭鉱跡
新潟の方ですね。新潟市の間瀬に炭鉱ですか?あの玄武岩地帯に?亜炭を採掘したという資料 は見た事がないです。炭鉱跡ではなく鉱山跡の入力ミス?
それとも旧山北町・現村上市の間瀬でしょうかね。手元の僅かばかりの資料には葡萄峠附近に 明神炭鉱があったようです地図上では間瀬に近そうですが。もう少し間瀬寄りにも亜炭鉱山が あったかもしれませんね。
大沢鉱山跡にある明神炭山?  新潟県の亜炭炭鉱の表が少しは参考になるかも?

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