天満地下壕跡 付近
2013年5月の晴れた日、久し振りに山菜を取りに出掛けた。昔は余りに多くて残して来たような場所でしたが、ただの脳内妄想だったのか、適期を逸したのか、植物は難しい!動物はもっとむずかしい。坑口は逃げない・・・
足元にはタマネギ?がいっぱいだっただけ、食べられないけどね。
折角ですからピソライトでも拾って帰ろうと、長靴を履いたまま歩いていると(時空は移動しました)。山側の水路が気になって仕方がない・何時の時代に掘られたのかが気になるしどういう構造なのか気になるね。
5月って殆ど夏に近いイメージ、歩いていると暑くて仕方がないわけで、ある場所でふと山側から冷気が・・・ なんか危険なスポット? と ふと見ると何か穴があるではありませんか、
この涼やかな空気に誘われて入ると・・・なんか凄い広いけれど、もの凄く崩落している所が多い?埋めただけ?で明るい方へ行ったら鉄格子が、当然、入ってはいけない場所のようですね。
わたしくめが、入った場所には立入禁止とか柵もなかったのですが。幅が広く、天井も高い。そういえば 『阿賀の里 : 図説・東蒲原郡史 下巻』で此処の事が記載されていた、
あれかと・・・太平洋戦争?敗戦が近い時期。かたや長野では松代(まつしろ)大本営を掘っていたし、ここは被服廠が掘らせた場所ね。被服廠で検索すると関東大震災の悲惨な画像を見る
事になりますが・・・東京は最強の心霊スポットですね、東日本大震災でも成仏出来ずにさ迷っている霊が多いらしく、目撃談が多い?少ない目撃談が拡散中?この前もタクシー運転手や、仮設住宅での体験談が
ネットのニュースで載っていました。突然、人生を断ち切られたあの状況では、さもありなん。それはそうと、被服廠って軍服等を作っていた機関らしいよ。
終戦の年、昭和20年(1945年)2月から掘削が始まったようです。 で、当時は無報酬。お国の為に働ける事を有り難く思えって事だったのかしら、支払う金もないだけか。当然銃後の労働力は、老人と子供くらいしか残されていない。
不慣れな掘削作業に従事させられて怪我人だらけ、気の毒な方はダイナマイト事故で亡くなられたようです。 (-人-)ナムナム
酷い時代、クリスチャンは凄いねあの時代に戦争反対なんぞ云っていたのだから。わたくしめには、そんな勇気はないので、時代の空気にあっさりと流されますです。
幕末から続いた血塗られた道も、漸く70年前に途絶えたか・・・ ネットで簡単に情報が得られる良い時代?になったのかな?
ちなみに此処は『阿賀の里』には、小川村天満地下壕とありました、小川村は津川町になってと、今は阿賀町(あがまち)です。
で 目的の?ピソライトが 落ちていたので拾いました、掘ったわけじゃないです。水路の補修工事の時に崩れたのでしょうね、新しそうなコンクリート製の蓋付近に落ちていました。掘る道具もなかったしね。
それにしても、こんな所まで西洋タンポポに侵食されているのね。あぁ〜除草剤を撒きたい。
それと、田舎の地方新聞にさらりと阿賀町で捕獲されたイノシシの肉から放射性セシウムが検出されたと書いてあったよ、2015年の話です。
福島からの侵入か!福島原発の近くじゃイノシシどもが傍若無人らしいですが。新潟に来るな! 熊・ヒル・イノシシに注意ですか・・・ 頑張れ猟友会!
石のタマネギ・・・
これも 石のタマネギ・・・
旧道を歩いていると・・・ 霊気?冷気が来た!
激しく崩落?埋めただけ?奥深いようです
明るい方へ進むと
当然な状況 外から見た図
外から見た図 西洋タンポポ・・
広い空間
天井の様子から 崩落じゃなく埋めた感じ
さて 出ますか
外に出て先へ進む
ピソライトの層
水路の蓋とシカの糞じゃない ピソライト
平面図
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