伊夜日子神社跡
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かつて新潟市秋葉区の塩谷の奥に、石油採掘の為にひとつの集落が存在し、集落の奥の小高い場所には伊夜日子神社があったそうです。
存在した期間は明治22年から昭和33年迄だそうです。石油採掘の守り神だったのでしょう。様々な会社の手を経て、最後に関わったのが、箱岩鉱業所だったそうです。
神社跡に、1990年頃に箱岩宏宣さんが木製の標柱を立てられた由。年月を経て、
その標柱が朽ちた為。かつての伊夜日子神社の祭礼の日、6月15日に新しく石碑を建てられたとの事でしたので、見てきました。時は2011年。
私有地ですので、節度ある行動をと・・・御迷惑をお掛けしないように それと道を外れると、神隠しに遭う可能性が高いようなので、かつての参道を外れる事なく、矢印の通りに歩きましょう。
以前の状況知っていましたので、可也整備に時間と労力等が掛かったのが伺えます。
表参道側 コンクリートブロック
表参道側 登りの始まり
基本 道を外れると危険です!
あとすこし 道を外れると危険です
開けて来ました 左側へ
左側へ(北側へ)
目的地は近い
?!
階段を作ってくれたんですね
着いたようです
おぉ〜 昔の神社の西側に
北側の側面
南側の側面!
裏面(東側)
前の標柱
ビッグスワンが見えました
神社跡の基礎の部分?
刻んである文字は、下記のとおりだそうです。。
正面(弥彦神社本殿に向け) 石油神 伊夜日子神社 跡
側面(北側〜新潟市街側) 明治二十二年十二月十日 伊夜日子大神ノ鎮座ノ祭典ヲ行ウ
側面(南側) 歴代斎主 日本抗油 宝田石油 日本石油 帝國石油 箱岩鉱業所
裏面(東側) 昭和三十三年吉日 新津市蒲ケ澤箱岩宅に移築遷座 箱岩定雄謹製
※日本抗油は大日本帝國油田第四區地質及地形圖説明書 1905年では日本礦油株式會社と記載されている会社かと思われます。
この地図では日本鑛油とある